人魚ワールド » 人魚エッセイ
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ここは人魚にまつわるエッセイのページです。
理屈屋の私は生物学的考察と銘打ちます。
奔放な想像力と浅学知ったかぶりを駆使して、幻想的独創的かつ教養的内容。
あるいは牽強付会で矛盾だらけ、ひょっとしてお下品な話題も・・・。
昔の絵画を見ますと、しばしば人魚はイタヤガイ(帆立貝の仲間)の白い貝殻を胸に貼りつけています。あんなものくっつけて、痛くないんでしょうか。ヘタしたら怪我しますよ。
あれは道徳的観点その他から生じた画家の浅知恵なのでしょう。ヌードは恥ずかしくても、人魚なら抵抗なく描ける絵描きさんは多かったそうです。
乳房があるのだから、人魚が哺乳類であることは明白ですね。
人間はジュゴンの雌が子供を抱く姿を見て人魚を思いついたといいますが、人魚が聞いたら、あんなブサイクじゃないと気分を害するかも。
野性の雌の動物は、人間みたいに思春期過ぎたら四六時中大きな胸をしている、ということは珍しいのです(人間だって大人になっても小さい人がいるけど)。
たいていは出産を経て授乳の時だけふくらみます。授乳期の雌でも、狩りの際は邪魔だからしぼませるという芸当さえできます。
見たところ、人魚は人間タイプのようです。
というと、ブラなしではタレチチになってしまう!
大丈夫、大丈夫。
水の中では水圧があります。人魚は天然の見えないブラジャーで常にバストアップをしているのです。
人魚はノーブラ。これが正統なファッションです。
人魚の出身地は北欧だなんていいますが、疑わしいものです(単にアンデルセンの出身地なだけ)。
北の海に人魚は住みにくいのです。
上半身に人間みたいな薄い皮膚しか持たないのだから、寒さを凌ぐには無理があります。
それにマーメイドといえば、ほっそりとした美女が相場です。ぼてぼて脂肪が付いていたら幻滅。
長い腕や細い首などで、体長の割に表皮面積が大きいので、水の中で体熱が奪われる程度も高いと思われます。
じゃあ熱帯の海はどうかというと、これもなんとなく不似合いなんですよね。
ダッコちゃんみたいな丸顔の人魚もキュートではありますが。
というわけで、温帯の比較的沿岸に近く遠浅ではない海が適当ではないでしょうか。
そもそもあれは「尻尾」でしょうか。
人魚の構造は、上半身が人間、下半身が魚。ということになってます。
人間の脚の替わりに魚の尻尾がついたもの。という表現もあります。
ここで魚の立場から「下半身」なるものに思いをいたしますれば、あれはほとんど首から下であり、内臓がいっぱい詰まった重要な部分なのです。「尻尾」だなんて言われたら怒りますわな。
魚にとって、「尻尾」に相当するのは「尾鰭」なのです。
別な見方をすれば、人魚の魚みたいな部分は、魚の尾鰭とその少し上までの部分が長く伸びたものでありましょう。
つまりあの辺は骨と筋肉ばかりで、多少重要な器官があったとしても、消化器の末端くらいなものです。
そんなに筋肉が発達しているのは、深いところへ潜ったり、速く泳ぐためなのでしょう。
人魚の体つきは、流線型はおろか紡錘形の水生動物にも劣ります。水中で生きるには非機能的です。泳ぎは遅いほうでしょう。そこをカバーするために、強い尻尾で推進力を付けるのです。
上体が穏和な人間仕様であるからには、牙(歯)や爪などもか弱いはずです。尻尾をばしんと打ち当てればそこそこ武器にもなるので、小さなイルカ程度となら戦える・・・かも。
人魚の下半身は、生命維持に不可欠ではないけれど、海の中で上手く暮らすためは重要な働きを持つのです。
人魚によく似た構造の合体生物に、ケンタウロスがいます。
上半身が人間、下半身が馬の半獣人です。でもその「下半身」って、馬の胸から下ではありませんか。なんと贅沢な。
ちゃんと別に上半身を持つケンタウロスにとって、馬部分に重要な器官はあまり配置されてはいないはずです。
昔見た外国のブラックユーモア漫画に、こんなのがありました。
肉屋に駆け込んだケンタウロスが、下半身を失い、大金をくわえて、スケートボードに乗って出てくるのです。
あっちでも馬刺は人気なのだろうか。やっぱり生姜で食べるんだろうか。
あれだけ身が詰まってるとなると、高く売れるでしょうな。
同じ獣人でも、パンは上が人間、下が山羊です。脚は2本で、山羊の後半身しかついていません。肉屋に行っても二束三文。
ケンタウロスと同様、人魚の下半身にはゴチャゴチャ内臓がないので、たぶん赤身がメインです。普段泳ぎ回って鍛えているなら、身も締まって美味に違いありません。骨が中心に1本きりなら調理も簡単だし、食べ出はじゅうぶん。
新鮮なうちはお刺身でいただきましょう。
ということで、人魚を食べたがる人間は昔からわんさといました。
しかし人魚は、食物よりも薬として有り難がられたようです。
人間に似た形状の生き物を食べることにはやはり躊躇があり、何か免罪符を得たかったのでしょう。
日本の民俗や伝説で、人魚は不老不死もしくは不老長寿の妙薬といわれてきました。
どうしてそのような考えが生まれたのでしょう。
深い意味はないと思うのです。人間はより珍しいものに薬効を求めたがる傾向があります。
「鰯の頭も信心から」といいますが、どうせならイワシなんかよりも竜の落とし子のほうが効きそうな気がしますよね。
人魚なんて滅多に遭遇するものではありませんから、それはそれはすごい効き目があると思い込んだって不思議はありません。
だから人類最高の夢である不老不死対策へと祭り上げられてしまったのです。
「人魚」を辞書で引くと、『通常上半身は若い女性』という表現をしていることが多いようです。英語のmermaidを考慮してのことでしょう。
Mermaid(マーメイド)は海の乙女という意味です。お手伝いさんではありませんよ。
男の人魚を指すmermanという言葉もありますが、どうもあとからこじつけたような印象。
そもそも成り立ちの時点で、人魚には「男性という存在」が想定されていなかったようなのです。
ではバアサン人魚は?
そんなものいません。
人魚は年を取らないのです。
「不老長寿の薬」という着想が生まれたゆえんでもあります。
いつまでも若く美しい女性ばかりである人魚たちの華やかな世界・・・人間の男性にしてみれば「この世の楽園」に見えましょうが、退屈そうですねえ。
人魚姫が人間に憧れた気持ちもわからなくはありません。
もちろん生き物の常として、人魚にも「死」は訪れます。時には凶暴なシャチなどに襲われて若死にする人魚もいることでしょう。
いかに長寿の人魚でも、生殖なしでは滅んでしまいます。
女性のみで、どうやって増えていくのでしょうか。
どうやら人魚の世界では、人間に先んじてクローン技術が発達したようです。
自然交配で生まれる生き物には、さまざまな個性が生じるはずです。でも人魚はなぜか一律「美しい」容貌の持ち主ばかり。遺伝子操作により、ブサイクな個体を排除しているからに他なりません。
時には手違いで人魚姫のような不穏分子も出てくるでしょうが、適応できずに淘汰されました。
人魚というロマンティックな伝説を保持するために、人魚たちは陰で努力しているのですよ。
ジュゴンやマナティーは草食です。
でも人魚がワカメや昆布をかじるさまって、絵になりませんね。果物だったらまだましだけど、海の中では見つかりそうもない。
ならば生魚を頭からムシャムシャ・・・これもイメージ壊れるんだなあ。
もちろん海の中では火をおこせないから、煮炊きは不可能です。イカの活き作りを作ろうにも、包丁なんか塩分で錆びちゃうだろうし、といってステンレス工場が海底にあるという話も聞かないし。
いったいどうすりゃいいんだぁ。
答えは・・・プランクトンです。
人魚は泳ぎながら水中のプランクトンを漉し取って食べているのです。体は大きいほうだから毎日かなりの量が必要です。そこで起きている間はいつでも食べているのですが、一見食事中に見えないから、お品もよろしい。
丸飲みだから歯磨きの必要もありません。
仙人が霞を食べるようなものですね。
おわー、不覚。食べる話をしたものだから、こちらへ言及せずには済まなくなりました。
海は広大ですから、浄化能力も半端じゃありません。
お魚たちは常にその辺でやっちゃいますが、お口に入ったり目を刺激する心配はないようです。よそのが流れてくる可能性も、海の広さを考えると低いといえましょう。
海の中では陸上の清潔感覚は通用しないのです。
もちろん紙でふいたり、温水シャワーで洗ったりという小細工も不要ですよ。